2011/12/23

山口百恵について

山口百恵について書こうとすると全然文章にならない。

僕にとって書くという作業が左脳を使う作業だとすれば
山口百恵が入っているのは、あきらかに右脳で
うまくリンクできないのかもしれない。

ちなみに僕はリアルタイムの山口百恵を知りません。
僕がテレビで歌番組に興味を持ち始めた頃には、すでに百恵菩薩は引退しており、
テレビの中には明菜やチェッカーズがおりました。

でも僕は確か幼稚園の頃に、後の旦那三浦友和から山口百恵を奪うという夢を見てた気がするので、幼稚園児の頃から、本能的にDNAレベルでひかれてたのかもしれません。(まー恐ろしい)

んで、アイドル山口百恵について少し書きますが
山口百恵は13歳の時にオーディション番組で準優勝し、
14歳でデビュー「花の中三トリオ」として売り出します。

この頃の山口百恵の歌は、言葉を選らばず言うと、まあひどいです。
歌が下手とかじゃなくて、曲の歌詞がひどいんです。

「あなたが望むなら 私何をされてもいいわ」(青い果実)
「惜しくない 惜しくない あなたが望めば 何でも捨てる」(禁じられた遊び)
「あなたに女の子の一番 大切なものをあげるわ」(ひと夏の経験)

もうあれですよ。完全に大人の商売道具として、
14歳~15歳でこんな男に媚びた歌詞の曲を歌わされるわけです。
毎週歌番組で、おっさんが書いた、明らかに年齢不相応の歌を歌い続けるわけですから、相当つらかったことでしょう。
勝手に作られたアイドル山口百恵をたんたんと演じるわけなんです。
まあそういう時代ですよね。

それでどうにか我慢して売れた後
山口百恵にもある程度、事務所内での発言力が出てくるわけですが
そこで百恵菩薩は、ロックバンドの宇崎竜童に曲を書いてもらいたいと事務所にお願いします。その後、両者OKが出たことで、宇崎竜童が曲書き、宇崎竜童の奥さんの阿木燿子(当時はまだ奥さんじゃないのかな)が詩を書き、山口百恵が歌うという、伝説のタッグが結成されたのでしたー。

シングル「横須賀ストーリー」で成功を収め、
このタッグは今までの「大人が作った少女」山口百恵をがらりと覆し
「1人の女」山口百恵としての強さ、したたかさを全面に次々に曲を発表していきます。

「声が違う 年が違う 夢が違う ほくろが違う
ごめんね 去年の人と 又比べている」(イミテイション・ゴールド)

「気分次第で抱くだけ抱いて
女はいつも待ってるなんて
坊や いったい何を教わって来たの
私だって 私だって 疲れるわ」(プレイバックPart2)

「bye bye bye bye やってられないわ」(絶体絶命)

「傷つけられても、傷つけたくない
愛されるより、愛していたい
歌手の前に、人間でありたい
あなたの前で、女でありたい
あたしはもう二十歳・・・」(曼珠沙華-完全版での冒頭語り)

そして21歳で引退をするわけです・・・。

この当時、山口百恵よりかわいらしい子、歌の上手な子、大人びた子、
はっきりいって、山口百恵よりポテンシャルの高いアイドルは多くいましたが
伝説を作れたのは山口百恵だけでした。
人気絶頂で引退したから?それはあくまでも結果論であって、そうではありません。

山口百恵がアイドルとしての活動を続けながら、阿木燿子さんの言葉を借りアーティストとして自己表現し、当時類を見ない革新と成熟を遂げたからであります。

そして時代は山口百恵がいなくなった後の百恵像を、明菜に追わせてしまうのであります・・・


山口百恵 - イミテイション・ゴールド

アイユも、おっさんが勝手に作ったミニスカで純朴な少女アイユから脱却し、
いつの日かアーティストとして表現をしていって欲しいと思っとります。